大手酒造会社もクラフトという言葉を使い始め、日本におけるクラフトビールの定義が曖昧になっています。言葉の意味なんてどうでもいいじゃん!と言われればそれまでなんですが… 単なるバズワードなのでしょうか。ずっと腑に落ちなかったので考察してみました。
ちなみにアメリカのブルワーズ・アソシエーションは、クラフトビールを次のように定義しています。
- 小規模であること
- 独立していること
- 伝統的であること
明確な定義は存在しませんが、あえて言葉にするなら &Crafts ではクラフトを「個性」と捉えています。
最近、SNSのように「いいね」の数に引き寄せられて、皆が同じ方向を向くことに違和感を感じていました。私自身も、画一的・均質的なものづくりに対して時々やりがいを見失うことがありましたし、似たような地方の町並みや似たような量産品の洋服も、どれも個性がなくてつまらないと考えていたんですよね。
そんななか職人の多彩な自己表現にクラフトビールの魅力を見出したのかもしれません。本来自分がデザイナーという道を選んだのも、何かをかたちにして人の感情を動かす喜びが原体験となっています。イギリスでビールの多様性と奥深さを知り、ホームブルーイングで友人にあげたりして、ものをつくって感謝される喜びを思い出すことができました。
クラフトビールには資本主義的な顔の見えない商いではなく「あのブルワーの造ったこのビールを飲みたい!」とか「エクストリームなビールを造っていて面白い!」というような造り手への共感があり、クラフトビールの個性を介して喜びを生み出しています。
それとブルワーズ・アソシエーションが明文化した定義を正すなど非常に恐れ多いですが、個人的には「小規模であること」は関係ないかなと考えています。例えば、ギネスビールといえば世界的に有名なビール会社ですが、ビジネスの規模的にもこの定義には該当しないでしょう。ですが、ギネスビールといえばスタウトですよね。スタウトといえばギネスと言ってもいいぐらい代名詞のような存在です。
個性ってこういうことなのかなと思うんですよね。200年以上も自分たちの信念を曲げずに頑固一徹、ひとつのものにこだわって同じものを造り続ける。これってものすごくかっこよくないですか?大規模であっても私はそこにクラフトマンシップを感じました。そこで日本の陳列棚を埋め尽くす大手のビールたちに愕然とするわけですよ。個性がまるでないなって…
日本のクラフトビールシーンも賑わってきて、直近も裾野を広げる作業が続くと思います。多様性というものの認知が広まった次のフェーズでは、クラフトブルワリー皆が同じ方向を向いて拡大志向になろうとはせずに、オンリーワンなビールに注力して、各社の主力銘柄がバラエティ豊かに市場を賑わすなんて世界もワクワクしますね。